Prev → ロバート・ヒルキ氏インタビュー – 1.英語と異文化コミュニケーション
2. グローバル社会での英語の変化
Q. 最近あなたのブログで、シンガポールの人々が円滑なコミュニケーションのためにSinglish(シンガポール英語)の代わりに、外部から来た人に対してスタンダードな英語を話しているというストーリーを読みました。社会のグローバル化につれて「英語」の使い方は変わってきていると感じますか?
シンガポールには何回も行きました。私の最も好きな場所のひとつです。清潔で食べ物が美味しく、人々は親切です。 暖かい気候も好きです。とても心地よい場所です。今回の訪問で私が印象に残ったことは、以前の訪問時に比べ、人々が外部から来た人へ話しかけるときに、かなり標準英語を使っていたということです。
私がシンガポールへ行き始めたとき、もちろんほとんどの人がSinglish(シンガポール英語)、ひとつの方言を話していました。 ときどき理解するのが難しいことがありました。しかし、前回の訪問では、私はシンガポールの人々が意識して、標準英語を話そうとしていると感じました。私はそれをoff-shore English と呼んでいます。もちろん英語はだれの持ち物でもありません。アメリカの持ち物でも、オーストラリアの持ち物でも、ニュージーランドの持ち物でもありません。英語は世界のLingua franca(異なる言語を話す人同士の共通語)です。人々がコミュニケーションに使うツールです。違う視点があることも理解しています。
私はかつてある学会に属していました。Organization Association of Asian Englishと呼ばれる日本の団体の会議のようなものでした。そして、多くの人たちが、それぞれの地域がそれぞれの標準英語を持つことは問題ないと信じていました。たとえば、Japanese English(和製英語)、Korean English (韓国英語)などです。私はそれに反対でした。地域の言語の多様性を尊重することについては賛成です。しかし同時に、標準がなければ英語はラテン語のようになってしまいます。ラテン語はかつて、世界中の人に理解されていました。しかし、徐々に、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、イタリア語などのたくさんの言語へ断片化されていったのです。私は、標準があるべきだと強く感じるのです。そうはいっても、危険なことは、「標準」はアメリカ、アメリカ英語に似ることが多いということです。それは言語の純粋性からいって危険なことです。この点については非常に神経質に考えています。
誰でも理解できる標準の言語は必要です。そしてシンガポールの人々は本当に意識的に努力しています。私はたくさんの人と話しました。ひとつの印象的な出来事は、コーヒーショップでペーストリーを買って通りで朝食をとろうとしたときに、ひとりの女性が、明確な標準英語で私に話しかけてきました。実際少々のシンガポールアクセントはありました、しかし非常に明確でした。彼女に「あなたの友人に話しかけるときにもそのように話すのですか?」と尋ねてみました。彼女は「もちろん違います。地方の方言はとても快適です。しかし私はシンガポールの外部から来た人から理解されたいのです。」と答えました。私は大変素晴らしいと思いました。本当に良いことです。
日本でも少しの変化を見ています。私が日本に来たばかりのころは、日本の学校の先生は文法はとても得意でしたが、普通の英会話はあまり得意ではありませんでした。この状況は大きく変わりました。近年では特に若い世代の英語の先生が英語を自然に話しています。そして次の15年に関してはポジティブに考えています。前に述べたように、英語とは逃れられないものです。公平、不公平にかかわらず世界の言語なのです。それが現実です。
私が好きな国の1つにオランダがあります。人が大変親切で、食事が美味しく、そして自分が普通サイズに感じるからです。(私はとても大きいので!)。例えばあなたがアムステルダムにいるとしましょう。そして郵便局を探しています。1人のオランダ人があなたに近づいてきます。その時「あなたは英語を話しますか?」と尋ねる必要はありません。私はいつも単に”Excuse me, do you know where the post office is?”と英語で聞きます。私には夢があります。(私はMartin Luther King ではありませんが… )私には夢があります。15年、20年後、私が島根県、鳥取県など日本の各所を訪ねたときに、私に近づいてくる人がいます。私も彼の方に近づき“Excuse me, do you know where the post office is?”と尋ねます。私は“Excuse me, do you speak English?”と尋ねる必要がありません。なぜならば彼は英語を話すからです。誰でもそうできるようになればいいと思います。