ChatGPTで文学(和英)翻訳はどこまでできるのか?出版裏話を大公開!

 今回は、英語便が1月に研究社から出版した『AIを賢く使う英文ライティング:プロンプトとポストエディットの極意』の執筆裏話の一部をお届けします。「AIで文学翻訳はどこまでできるのか?」というテーマで書かれた、「Ⅱ章 10 文学(小説)」の翻訳に関する執筆過程を、試行錯誤のエピソードを交えつつ、ご紹介します。

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会話翻訳の難しさ

 「文学(小説)の翻訳」の章の執筆にあたり、最初に研究社の担当編集者、金子靖さんから提案された題材は、内田百閒の『サラサーテの盤』でした。1948年に発表されたこの短編小説は、亡き夫の遺品を回収する妻と、夫の友人だった語り手の交流を描いた作品です。
1つ1つの会話文の翻訳に主人公の性格や背景の考慮が必要で、一筋縄にはいきません。

 例えば、こんな会話をChatGPT で和英翻訳してみると、以下のような文が生成されます。

(原文)
A:「もう外は暗くなりましたか」
B:「どうだかな」
A:「奥さん、外はもう暮れましたか」

(ChatGPTの英訳)
A: Has it already gotten dark outside?
B: I’m not sure.
A: Madam, has it already gotten dark outside?

 生成された英語に問題はないのですが、この場面では、Bは教師、Aは昔の教え子で、AはBを訪ねてきて二人は酒を酌み交わしています。Aの「もう外は暗くなりましたか」に対してのこたえ「どうだかな」にGPTが提案する”I’m not sure.”を使うと、相手の言葉に対して「本当に暗くなったのか疑っている」ニュアンスが出てしまいます。この場面では、単なる「分からない」という意味の言葉で返す方が適切でしょう。

説明する女性  GPTに「もう少しこういう意味で」とニュアンスの変更を依頼し、別のセンテンスを生成してもらうこともできます。ですが、生き生きした会話文を作成するには登場人物の年齢や性格、人間関係、場面認識、土地、時代背景など、あらゆる要素を考慮しなければなりません。つまり小説をすべて深く読みこんでいないと適切な会話翻訳の作成は難しいということになります。


 日本文学を海外へ紹介している雑誌 Monkey Business Volume 04で、翻訳家David Boydさんは「どうだかな」を”Got me.” と訳されています。Got meは日本語の「分からない」のニュアンスに自然に当てはまる表現です。

 上記はほんの一部ですが、こうしたニュアンスの違いがあるため、会話文はAI翻訳だけでは処理できず、人間のポストエディットと修正が必要になります。実はこの作品はAIの文学翻訳の問題点を考える上で、非常に興味深いものでした。ですが文脈をよく判断しないと解説できないことが多く、講師とスタッフで2週間試行錯誤したものの、「限られたスペースで簡潔に説明するのは困難」と最終的に判断することになり、『AIを賢く使う英文ライティング』の収録を断念せざるをえなくなりました。

文学翻訳はマスト!?

  文学翻訳は断念したものの、代わりに誰もが知っていると思われ、情景がシンプルでわかりやすい『桃太郎』を扱い、「9.物語の翻訳」の章を執筆することにしました。研究社へ物語翻訳の原稿を提出するとともに、翻訳作業の困難さを説明しました。

 ところが、編集者の金子靖さんから、「研究社から出版するのだから、文学翻訳の章はどうしても必要です」と言われました。研究社は辞書や英語学習書の出版社で、今回は「文学翻訳」が最も期待されていた章であったことに気づき、英語便チームは焦ります。

風景描写を題材に再チャレンジ!

 執筆の締切りが迫る中、再び文学翻訳にチャレンジすることとなります。会話翻訳のむずかしさを金子さんと共有し、金子さんから国木田独歩の『武蔵野』をご提案いただくことになりました。「武蔵野」は独歩が東京郊外の落葉林を散策してその情景を描いた、近代自然文学を代表する作品です。もちろん情景と心理描写が入り混じる深い作品なのですが、風景描写が中心で会話よりも文脈に左右されにくく、翻訳解説の題材としては取り組みやすいと思われました。

 ところが、新たな問題が発生します … 「同じ文章を読んでも、人によって頭に浮かぶ風景が全然違う!」のです。もちろん、翻訳は訳者の解釈によるところがあります。しかし、訳者の育った環境や経験により、風景のイメージは異なるのです。
例えば「山」を意味するmountainsという単語を見たときに、周りに山のない都会で育ったスタッフと、ロッキー山脈を見て育ったカナダ出身の講師とでは、思い浮かべる風景の規模感がまったく異なるため、形容詞や表現の選択がなかなかかみ合いませんでした。武蔵野の写真を共有したとしても、「空気はどのくらい冷たいのか?」「森にどんな木が生えていて、風を受けた木々はどんな音を出すのか?」「夕暮れの空はどんな色になるのか?」などとそれぞれが考えることになり、「もう少しゆっくりしたイメージで」 「もう少しぼんやりした感じを出したい」など、夜遅くまでZoomで議論を重ねることになりました。そしてようやく原稿が完成しました。

説明する女性 GPTの生成した文は意味的には正しいものでしたが、結果的にポストエディットプロセスではほとんどのセンテンスを入れ変えることになってしまいました。(興味のある方はぜひ『AIを賢く使う英文ライティング:プロンプトとポストエディットの極意』を読んでみてください。)

 書籍ではネイティブ講師のポストエディットを掲載していますが、ネイティブスピーカーと相談できないときには、頭の中で想像した情景をより細かく、より具体的なイメージをもとに作成したプロンプトをGPTに入力することで、翻訳のヒントが得られる可能性もあります。

 以下は、まったく異なるタイプの滝の水しぶきの英語表現をGPTに生成依頼する例です。

(GPTプロンプト例)ナイアガラの滝と華厳の滝の水しぶきの様子をそれぞれ文学的な英語で表現してください

(GPT出力)
Niagara Falls:
“A mighty torrent plunges with relentless force, sending up billowing clouds of mist that dance in the sunlight, shrouding the abyss in a veil of silver. The air trembles with the thunderous roar, and the ceaseless spray kisses the faces of those who dare to stand near, a baptism of nature’s untamed power.”
(「巨大な激流が容赦なく落下し、陽光に舞う白煙のような霧を巻き上げ、深淵を銀のヴェールで包み込む。空気は轟音に震え、絶え間なく舞い上がる水しぶきが、近くに立つ者の頬に降り注ぐ。まるで自然の荒々しき力による洗礼のように」)

Kegon Falls:
“A slender ribbon of water descends from the lofty cliffs, tracing a silken thread through the air before vanishing into a whispering mist below. The delicate spray rises like a ghostly sigh, lingering in the twilight, a fleeting echo of the waterfall’s quiet grace.”
(「高くそびえる断崖から、一筋の水が絹の糸のように空をなぞりながら落ちていき、下の囁く霧に消えていく。繊細な水しぶきは幽玄な吐息のように立ち昇り、夕暮れの中にたゆたう。それは滝の静かなる優雅さの、束の間の余韻」)

 もちろん、修正は必要ですが水の落ちる様子や、音の表現に使われている形容詞の使い方などは参考になります。

AI翻訳は「ツール」、最後は人間の手修正が必要!

 武蔵野の一節に対してGPTの生成した文は意味的に正しいものでしたが、形容詞や表現を検討することで、ポストエディットでほとんどのセンテンスを入れ変えることになりました。AI翻訳ではどうしても表現の微調整が難しく、やはり最後は人間の感覚が重要だと痛感した次第です。

 今回の翻訳作業を通じて感じたのは、AIはあくまで道具であり、最適な表現を選ぶのは人間の役割 ということです。今回の作業だけでも

• 会話のニュアンスの微調整
• 風景描写のイメージの統一
• 文化背景に基づく言葉の選択

といったことはまだまだAIだけでは処理できません。それでもAIを賢く使うことで翻訳の効率が格段に上がるのも事実です。うまく活用すれば、よりよい翻訳が可能になります。

 もし「文学翻訳×AI」に興味がある方は、ぜひ『AIを賢く使う英文ライティング:プロンプトとポストエディットの極意』をチェックしてみてください!

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